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42-2.形象埴輪と副葬品の編年 [42.古墳時代の編年に挑戦]



K36副葬品.jpg古墳の年代を決めるには、古墳の形態・埋葬施設・埴輪・副葬品について、これら要素の実在した年代を編年して行かなければならない。前章では、武具(短甲・挂甲)と円筒埴輪型式との関係を明らかにし、武具の編年のイメージが出来た。この章では、その他の年代を決める要素を円筒埴輪の型式別にまとめ、編年表のイメージを作ってみた。古墳の年代を決める要素には、古墳時代の途中から始まったもの、古墳時代の途中で消滅したものを選んだ。古墳の埴輪・副葬品

についての結果を表36に示す。

K37三角縁神獣鏡.jpg

三角縁神獣鏡には「景初三年」「正始元年」銘の鏡があることから、卑弥呼が魏から貰った百枚の鏡が含まれていることが予想され、古墳時代の初めから存在していたことは確かである。弥生時代から鏡は墓に副葬されていたのだから、古墳時代の初めから三角縁神獣鏡が副葬されていたことは予想出来る。表36の三角縁神獣鏡の円筒埴輪0式(円筒埴輪なし)にある4基の古墳は、小札革綴冑で述べた奈良の黒塚古墳、京都の椿井大塚山古墳、兵庫の西求女塚古墳、福岡の石塚山古墳である。三角縁神獣鏡は円筒埴輪Ⅲ式の時代で消滅している。

鍬形石・石釧・車輪石の石製腕飾は円筒埴輪Ⅰ式の奈良の新山古墳、大阪の池田茶臼山古墳、京都の寺戸大塚古墳・平尾城山古墳から出土している。合子・琴柱形の石製品は円筒埴輪Ⅱ式からで、琴柱形石製品が出土した奈良の新沢500号墳は方形板革綴短甲を共伴している。K38石製腕飾.jpgまた、合子・琴柱形の石製品と方形板革綴短甲が共伴する古墳に、石川の雨の宮古墳がある。これらのことから、合子・琴柱形の石製品はⅡ式(集成編年3期)と考えられる。集成編年の基準では、琴柱形石製品の出現は4期(Ⅱ式からとなっており違う編年となった。石製腕飾と合子・琴柱形の石製品はⅢ期の時代に消滅している。

K39筒型銅製品.jpg筒形銅器は円筒埴輪Ⅰ式で京都の妙見山古墳が1基ヒットした。筒型銅器を出土した古墳が1基であることから、筒形銅器はⅠ式の時代の末に出現したと思われる。表36よりⅡ期の時代に消滅し、Ⅲ式の時代には存在しないことが分かる。巴形銅器はⅡ式の時代から始まっている。集成編年の基準では筒形銅器と巴形銅器の両方が集成編年4期(円筒埴輪Ⅱ式)の時代に消滅しているとするが、山口の白鳥古墳は円筒埴輪Ⅲ式で巴形銅器が出土している。また、岡山の千足古墳はⅣ式で8個の巴形銅器が出土している。これらから、巴形銅器は円筒埴輪Ⅳ式の初めごろまで存在したと考える。

一般的には埴輪は円筒埴輪と形象埴輪に分けられ、形象埴輪には家形埴輪・器財埴輪・人物埴輪・動物埴輪にわけられるが、ここでは円筒埴輪(含む朝顔形埴輪)、形象埴輪(家形埴輪・器財埴輪・除く動物埴輪)、人物埴輪・馬形埴輪の三つに大別した。動物埴輪については馬を含む場合があるので除外した。箸墓古墳などの出現期古墳にみられる壺形埴輪・特殊器台は円筒埴輪から除外している。三角縁神獣鏡と小札革綴冑を出土した、奈良の黒塚古墳、京都の椿井大塚山古墳、兵庫の西求女塚古墳、福岡の石塚山古墳かは円筒埴輪が出土していない。円筒埴輪Ⅰ期の始まりは、これら4古墳は築造された後になる。



形象埴輪(家形埴輪・器財埴輪)は、円筒埴輪1式の京都の平尾城山古墳と長野の森将軍塚古墳がヒットしている。平尾城山古墳からは家形埴輪・蓋(きぬがさ)形埴輪が、森将軍塚古墳からは家形埴輪と合子形埴輪が出土しており、形象埴輪は円筒埴輪1式の時代から出現していると考える。円筒埴輪Ⅲ式の時代に大阪の墓山古墳から人物埴輪が出土している。墓山古墳から出土している形象埴輪には黒斑が有るものと無いものとがあり、窖窯(あながま)を導入する時期の前後に製作されたと考えられている。これらより、墓山古墳はⅢ式の末、Ⅳ式の始めの時代とも言える。人物埴輪・馬形埴輪はⅣ式の始めからと考える。




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