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41-4.中期の始まりは400年が相応しい [41.古墳時代の3期区分を考える]

集成編年6期の定義は「円筒埴輪のⅣ式。須恵器のTK73型式。鋲留の短甲・冑や挂甲など新しい型式の武具の登場。馬具・環鈴・帯金具などの出現。動物・人物埴輪も作られ出す。琴柱形石製品や滑石製容器はこの時期には姿を消している。」とある。5期に比べて6期は、円筒埴輪Ⅳ式ばかりでなく、須恵器・鋲留短甲・馬具・人物埴輪が登場し、多くの画期があり、古墳中期の初めにとするに相応しいと思う。

須恵器の始まり、TG232(大庭寺式)の登場は集成編年5期の後半である。須恵器の登場が6期であるとすると矛盾することになる。このことについて説明しておこう。私はウェブサイトの“遺跡ウォーカー”で遺跡や古墳の資料を集めている。遺跡ウォーカーでは“前方後円墳”が6,694件ヒットし、“須恵器”が34,186件ヒットする。しかし、“TG232”や“大庭寺式”ではまったくヒットしない。TG232は須恵器の揺籃期で古墳に副葬されることは少なかったと思える。TK73でもって、須恵器の古墳への登場と考えても、おかしくないと考えている。

K12.仁徳陵編年.jpg古墳の編年において、実年代は○世紀前半・後半とか、○世紀初・末、○世紀前葉・中葉・後葉で表わされる。図12の「百舌鳥・古市古墳群の編年」では、須恵器TK73・円筒埴輪Ⅳ式の登場を400年としている。図表ではあるが、こんなに明確に実年代を表現しているのは珍しい。同成社より出版された全10巻の『古墳時代の考古学』(2011~2014年)という新しい本がある。その1巻『古墳時代の枠組み』、3巻『副葬品古の型式と編年』には、古墳時代の編年について記載されているが、「須恵器TK73・円筒埴輪Ⅳ式の登場を400年」とした編年は行われていない。

私は「須恵器TK73・円筒埴輪Ⅳ式の登場を400年」に基づいた編年の作成に挑戦した。私に出来ることは「事実をして語らしむ」ことである。ウェブサイトの“遺跡ウォーカー”から、1939基の古墳の遺構と遺物の情報を抽出した。その内、前方後円()墳は994基であり、『前方後円墳集成』に記載された約5200期の約5分の1にあたる。


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