SSブログ

40-3.打虎亭漢墓との遭遇 [40.前方後円墳の起源]

K韓国の前方後円墳.jpg前方後円墳の起源論には、その特異な墳形の祖形となるものが韓国か中国にあって、それがわが国に伝播したか影響を与えたという考えがあった。韓国南西部の栄山川流域に13基の前方後円墳が確認されている。これらの前方後円墳の存在から、‘80年代には日本の前方後円墳の起源は韓国であるとの見解が出たこともあったが、現在ではそれらの前方後円墳の年代は、5~6世紀のもので、倭人が韓半島で造ったにものであると韓国、慶北大学考古人類学科の朴天秀教授が報告されている。 

1991年3月、私は商用で中国河南省の省都である鄭州を訪れた。その時、洛陽の南東50kmの嵩山に少林寺拳法で有名な禅宗の発祥の地、少林寺を見学する機会を得た。この道中、密県から登K7打虎亭漢墓遭遇.jpg封に向かう途中で、車窓より前方後円墳に見受けられる小山を見つけた。その小山は周囲が塀で囲まれ、中国の陵墓に見られる墓門があり、その横には○○○漢墓と書かれた石碑が立っていた。その陵墓を横から見た姿は、学生時代から長らく、堺市の百舌鳥古墳群、仁徳天皇陵の周辺で生活していた私の目には、まさに前方後円墳に見えたのであった。写真は小雨が降るなか慌てて取った写真であるが、前方後円墳の形状がおぼろげながら分かる。
 

墳丘は三段になっており、前方後円墳の特徴を示していた。その墳丘の後円に当たる部分は円形であることが明確に判ったが、前方に当たる部分が方形をしているかどうか定かではなかった。帰国後、中国国家文物事業管理局編の「中国名勝旧跡事典」で調べてみると、私が見た陵墓は後漢時代に造られた「打虎亭漢墓」であることが分かった。文物出版社撮影、樋口高康編修の『世界の大遺跡、古代中国の遺産』(初版1988年)には打虎亭漢墓の写真が載っている。写真には墳丘の周りの塀がないが、後円部に見える所を右に、前方部と思われるに所を左に撮影されており、三段築成がはっきりと認められ、まさに私が見た方向からのものであった。
 

この解説には、「墳丘を北から見たところ、右の一号は径70m、高さ15m、左の二号は径35m、高さ7
.5mで、その間が通路状の高まりになっている。一見したところ、日本各地にある段築の前方後円墳のように見え、そのように誤解した人もあったが、実際は二基の並列する円墳が連続したにすぎない。」とあった。この打虎亭漢墓が前方後円墳のルーツではないかと、日本で話題になった時期があったのである。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。