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39-4.九州風土記の研究は百家争鳴 [39.『風土記』は史実を語っているか]

昭和の初め国文学者の井上通泰氏は、九州地方の風土記(以後「九州風土記」と呼ぶ)が甲類・乙類・甲乙以外の三種に分類出来ると発表した。三分類の特徴は下記のとおりである。
  甲類 :『豊後風土記』・『肥前風土記』・同種の風土記(逸文)
             行政区分が「郡」、地名・人名が日本書紀表記
  乙類 :行政区分「縣」、漢文臭の文章、割注により訓注を示す
  その他:天皇名が漢風諡号、西海道節度使の逸文

D18 九州風土記研究.jpg井上氏の論文発表後、九州風土記の研究が盛んとなり、国文学者・歴史学者の双方が論文を発表している。それらの論文の要旨を荊木美行氏は、著名な学者の方々について『古代史研究と古典籍』にまとめておられる。それらの論文について、甲類風土記・乙類風土記と日本書紀の関係が、どう結論付けされているか、そのイメージを表D18にまとめた。日本書紀を中心にして、成立が早い風土記は左のマスに、成立が遅い風土記は右のマスに、ほぼ同時期あるいは判別が付かない風土記は下のマスに記載した。双方に影響を与えた、あるいは双方から影響を受けた場合には大きなマスを使用している。


 
荊木美行氏は、「さて、このようにみていくと、九州地方の風土記の正確な成立年代を知ることは、やはりそうとうむつかしいのであって、いまのところ、わずかに、
   
①甲類は、『日本書紀』を参照している。
   ②甲類の成立は、『日本書紀』の完成した養老四年(720)以降のことである。
   ③郷里制にもとづく地名表記に重きをおくならば、天平12年ごろを下限としている。
という点を指摘するにとどまる。」と述べている。荊木美行氏の『古代史研究と古典籍』は平成8年9月に発行された本である。この時点での風土記研究の最大公約数の結論とすれば、その結論は私が「39-2.風土記の成立年代と郡郷里制」と「39-3.古事記・日本書紀・風土記の天皇名」で述べた結論と何ら変わらない。 

風土記の成立年代の研究が混沌としているのは、九州風土記逸文の分類に問題があるようだ。『萬葉集註釋』に引用されている「西海道節度使」といわれる逸文がある。
   「筑前国の風土記に云はく、奈羅の朝庭の天平四年、歳壬申に次るとしに當り、西海道の
   節度使、藤朝臣、諱は宇合、前の議の偏れるを嫌ひて、當時の要を考えるといへり」
この逸文にある「天平4年(732年)」「節度使」「藤原宇合」をキーワードとして、九州風土記の成立年代を推定している論文が多い。しかし、この逸文については、井上通泰氏が甲乙以外としているが、坂本太郎氏が甲類、田中卓氏と秋本吉郎が乙類としており三者三様である。こんな分類の決め手のない逸文を根拠にしていたのでは、「九州風土記」の研究は百家争鳴にならざるを得ないであろう。
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