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39-3.古事記・日本書紀・風土記の天皇名 [39.『風土記』は史実を語っているか]

古代の天皇名は漢風諡号(神武天皇・崇神天皇)で呼ぶことが多い。この諡号(しごう)は奈良時代の天平宝字6年(762年)頃に淡海三船により命名されたものである。記紀に書かれた天皇名は和風諡号であり、『古事記』と『日本書紀』では呼び方はほぼ似ているが、漢字の表記は大きく違う。また、天皇が都とした地名や宮名の漢字表記も同様である。「風土記」の天皇名の表記には、記紀の和風諡号の一部に称号を付けたものや、都の地名や宮名を記した後に「御宇(御世)天皇」と称号を着けたものがある。例として崇神天皇について、『古事記』・『日本書紀』・「風土記」の天皇名の表記を下記に示す。
  『古事記』 :「御眞木入日子印惠命、坐師木水垣宮、治天下也。」
  『日本書紀』 :「御間城五十瓊殖天皇。遷都於磯城。是謂瑞籬宮。」
  『常陸風土記』:「美万貴天皇」
  『肥前風土記』:「磯城瑞籬宮御宇御間城天皇」

 ピンクが諡号の一部の通称名で、ブルーが地名と宮名である。これらにいて、『古事記』・『日本書紀』・「風土記」の比較を行った。天皇名の比較は『古事記』の記載がある推古天皇までとし、『肥前風土記』と『豊後風土記』はその表記方法が同じなので一つにまとめた。また、「風土記」記載の天皇名の表記が『古事記』と『日本書紀』の両方とも同じ場合は、その「風土記」の傾向(縦列)の色と同じにした。その結果を表D17に示す。 

D17 天皇名.jpg『播磨風土記』と『常陸風土記』は『古事記』と表記が同じである。唯一の例外が『常陸風土記』の景行天皇名の「大足」の表記である。『常陸風土記』の神功皇后では「息長帯」と「息長足」の二つの表記がある。『常陸風土記』の述作者にとっては「帯
(たらし)」と「足(たらし)」は同じに使ったであろうと思われる。『肥前風土記』と『豊後風土記』は、応神天皇の宮の一例を除いて、『日本書紀』と表記が同じであることが分かる。これらより、『播磨風土記』と『常陸風土記』は『古事記』を参照して書かれ、『肥前風土記』と『豊後風土記』は『日本書紀』を参照して書かれたと言える。風土記編纂の官命と行政区分の推移(郡里制→郡郷里制→郡郷制)、そして、天皇名・宮名の表記を合わせて考えると、
「古事記→播磨風土記・常陸風土記→日本書紀→肥前風土記・豊後風土記」が読みとれる。

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