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26A-7.中国の野生イネは海南島から始まった [26A.イネ栽培の起源地は何処か]

これまでに、中国の珠江中流域がイネ栽培化の起源ではないことを検証してきた。それでは、私の主張するスンダランドが、イネ栽培化の起源に成りえるのか検証してみたい。Wang,Zhang 氏の論文には、「中国の7つに分類した野生イネの中で、海南島で採取される野生イネ・HNが遺伝的にみて最も古いタイプであり、GD-GX1と最も近い関係にある。これらより、野生イネは海南から始まって広東と広西、そして他の地へと(雲南は除いて)と拡散したのかも知れない。もし、野生イネが南アジアから導入されたとするなら、その最初の場所は海南島であったであろう」と記載している。 
図110海南島野生イネ.jpg
図110のピンクは、海南島で採取される野生イネ・HNの大陸側の分布である。ピンクのHNが海南島から大陸に渡り、赤GD-GX1が誕生した様子が分かる。Wang,Zhang 氏の論文の野生イネが海南から始まって広西と広東に拡散したことが明らかである。
 

野生イネ・ルフィポゴンは熱帯が原産地であり、1万年前の亜熱帯・温帯の中国には生育していなかったのではないかと考える。スンダランドが水没するにつれ、1万~8千年前頃に人々は海や大陸に熱帯ジャポニカの種子をもって逃避した。そのとき舟で逃避した人々には海南島に辿り着き住みついた。海南島は熱帯と亜熱帯の狭間にあり、水辺に熱帯ジャポニカの種子を植えると野生イネ・ルフィポゴンに戻って実を付けず、人々は熱帯ジャポニカの種子を焼畑で栽培するしかなかった。
 その後イネ栽培は亜熱帯の大陸側に拡散した。特に北回帰線付近に位置する珠江中流域では水辺での栽培が可能となったが、野生イネに戻ることが多々あり収穫は多くなかった。

B101野生イネ分布.jpg人々は気温が低いと野生イネに戻ることが少なく収穫が上がることを知り、珠江の支流の上流へと稲作が広がった。
そして、南嶺山脈を越え、湖南・江西の地に辿り着いたものもあった。図101「野生イネ分布」にある「HuN2」や「JX-HuN」の先祖であろう。湖南省の玉セン岩遺跡や江西省の仙人洞遺跡の洞窟遺跡から見つかった最古(約1万年前)の栽培イネは、海南島から南嶺山脈を越えて伝わったもので、湖北省の彭頭山遺跡(約8千年前)の稲作遺跡に繋がって行く。

図111中国の稲作遺跡.jpg一方、海南島から舟で北上した人々は長江下流域で稲作を始めた。その遺跡が浙江省の河姆渡遺跡(7000年前)である。栽培された熱帯ジャポニカは自然環境に適応し遺伝的進化をして、水田稲作に適合する温帯ジャポニカが誕生した。河姆渡遺跡で熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカの両方が存在するのは、温帯ジャポニカが誕生の地であるからであろう。図111は7千年以前の中国の稲作遺跡を示している。海南島から南嶺山脈を越えて拡散して行った野生イネ・ルフィポゴンが長江中流域の稲作を生み、海南島から海沿いに拡散して行った野生イネ・ルフィポゴンが長江下流域の稲作を生んだことが分かる。もちろん、これらの拡散は人間の介在によるものであった。

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