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26A-5.珠江中流域がイネ栽培化の起源でない [26A.イネ栽培の起源地は何処か]

図108ハプロタイプ.jpgWang,Zhang 氏の論文よれば、栽培イネと野生イネ・ルフィポゴンには合計1287のhaplotype(ハプロタイプ:DNA配列)があり、その内74は栽培イネと野生イネの両者にある。その74の内11がジャポニカ特有のhaplotypeであり、38がインディカ特有のhaplotypeであるそうだ。7分類された野生イネの持つ、ジャポニカ特有のハプロタイプ(japonica haplotype)とインディカ特有のハプロタイプ(indica haplotype)の頻度(図108)が調べられている。 

GD-GX1
においては、japonica haplotypeが約17%、indica haplotypeが約83%である。表は広東・広西に生育するGD-GX1全体の値だが、珠江中流域のものも同じ値に近いであろうと推察出来る。haplotypからすると、GD-GX1はジャポニカとインディカの両方のDNAをもっており、インディカにより近いことが分かる。人間に例えていうならば、GD-GX1にはジャポニカとインディカ両方の血が流れており、インディカの方の血が濃いということだ。 

広西省貴港市の羅臼湾漢墓からは、粳(ジャポニカ)と「有客秈一石」と記載された木簡が出土している。この「客秈」とは、”外地引進的秈稲(他の地から持って来た進んだ秈稲)”と説明されている。「秈稲」とはインディカのことである。これらからして、羅臼湾漢墓がある珠江中流域は、前漢時代にジャポニカを栽培していて、そこに優良な品種のインディカ米が他の地から持ちこまれたという事であろうか。面白いことに珠江中流域からベトナムに近い地域(図10図106銅鼓分布1.jpg6:オレンジ円)
で採取されるGXは、図108にあるようにindica haplotypeが100%である。この地域からは銅鼓の出土がなく、別の文化を持つ部族が住んで、インディカを栽培していたのかも知れない。羅臼湾漢墓の木簡に書かれた、他の地区から持ち込まれた優良品種の秈(インディカ)はこの地域から来たのであろうか。前漢時代には珠江中流域で、粳(ジャポニカ)と秈(インディカ)が栽培されていたことが分かる。 

前漢・後漢時代の珠江中流域の稲作は、水辺に近い所で栽培されていたので、その近くに自生していた野生イネGD-GX1は、時代のずれはあるがジャポニカとインディカ両方から花粉を受け、遺伝子流動が起こったと思える。長い稲作の歴史の中では、インディカから受けた花粉の方が多かったと考えると、図108のハプロタイプの結果が納得出来る。実際、厳文明氏の「中国稲作農業の起源」には、珠江中流域の野生イネの特性は秈(インディカ)に近いとある。
 

Huang
Kurata氏の論文の結論は、「イネの栽培化は中国南西部を流れる珠江の中流域で始まり、野生イネのかぎられた集団からジャポニカが生れ、そのジャポニカと東南アジア・南アジアの野生イネとの交配によりインディカが生れた」としている。その「野生イネのかぎられた集団」はWang,Zhang 氏の論文の分類でGD-GX1の一部にあたる。インディカを生んだとするジャポニカの起源種・GD-GX1に、インディカの血が既に流れているのは論理に矛盾がある。珠江中流域に生育する野生イネはジャポニカ誕生の起源種でなく、同地域がイネ栽培化の起源地ではないと考える。


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