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32-9.冠位十二階制度の創設 [32.「聖徳太子は実在しない」に挑戦]

推古11年(603年)12月に冠位制度が創設されている。冠位は徳・仁・礼・信・義・智の六階に、それぞれ大・小の二階あって、全部で十二階である。翌年の正月には、始めて諸侯に冠位を賜っている。『書紀』が信用できないとした大山氏も、推古朝の冠位十二階は史実であると認めている。それは、『隋書』に冠位十二階の事が記載されているからだ。もし、『隋書』に記載がなかったならば、後世の捏造であると、憲法十七条と同じ運命をたどったのかも知れない。 

『隋書』倭国伝は、内官には十二等級があって、徳・仁・義・礼・智・信の六等級に、それぞれに大・小の二等級あるとしている。しかし、『隋書』と『書紀』は同じ十二等級を示しているが、その等級の順序が違っている。『隋書』は「徳・仁・義・礼・智・信」で、『書紀』は「徳・仁・礼・信・義・智」である。儒教で言われる五常(五徳)は、『隋書』の通りの「仁・義・礼・智・信」である。冠位十二階制度は何故「仁・礼・信・義・智」の順序にしたのであろうか。
 
D4 五行説.jpg
『上宮聖徳法王帝説』には「准五行定爵位」とあり、「五行に准
(したが)い、爵位を定める」と読める。「五行」とは五行思想のことで、中国の戦国時代に生れた自然哲学で「万物は木・火・土・金・水の5種類の元素から成る。その5元素は互いに影響を与え合い、その相互作用によって天地万物が変化し循環する」という考え方である。その相互作用には「木→火→土→金→水」の相生作用と「木→土→水→火→金」の相克作用がある。 


D5 五徳と五行説.jpg相生作用は、「木生火(木が燃えて火を生み)、火生土(火は灰から土を成し)、土生金(土から金属が産出し)、金生水(金属が冷えて水滴が生じ)、水生木(水は木を育くむ)」である。相克作用は「木克土(木は土から養分を取り)、土克水(土は水を吸い込み)、水克火(水は火を消し)、火克金(火は金属を溶かし)、金克木(金属は木を切り倒す)」である。図D4は五行思想を表わし、円周方向の変化が相生作用、星形の変化が相克作用である。
 


D6 冠位十二階.jpg儒教の五常(五徳)、仁・義・礼・智・信を五行に置き換えると図D5に見られるように、相生作用に「仁・義・礼・智・信」を以てくると、相克作用は「仁・礼・信・義・智」の順序となる。『隋書』は冠位を五常(五徳)の相生作用で表わしており、『書紀』は相克作用で表わしている。冠位十二階制度が「仁・礼・信・義・智」の順序にしたのは、儒教の祖である孔子の説いた「仁・礼」を、意識して上位の階に定めたためであろう。図D6の様に「徳」を真ん中に据えれば、冠位十二階そのものが表現されている。『上宮聖徳法王帝説』が書いているように、冠位十二階は五行思想により作られている。
 

冠位十二階制度の創設される1年前の推古10年10月に、百済の僧観勒がやってきて、暦の本・天文地理の本・遁甲方術の本を奉っている。このとき、書生3~4人を選び、暦法・天文遁甲・方術を僧観について学ばせている。暦法・天文・遁甲(占星術)・方術(道教)の根底には五行思想があり、僧観勒により五行思想が教えられたと考える。


聖徳太子は仏法を高麗の僧恵慈に、儒教の経典を覚哿博士に習ったと『書紀』は記載しているが、僧観勒により道教・五行思想を習ったのではないかと思う。聖徳太子は儒教・仏教・道教の三教を習得し、その知識を基にしで、冠位十二階制度と憲法十七条を創設したと考える。それらの創設は律令制度への先駆けであった。
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