SSブログ

30-12.海のシルクロードの拠点オケオ [30.ガラス素材は弥生時代から造っていた]

G90 海のシルクロード.jpgオケオ(Oc-Eo)遺跡は1世紀から7世紀にかけて栄えた扶南国の港であった。オケオ遺跡からはローマ金貨(152年・156年)が2枚、後漢時代(25~220年)の方格規矩鏡と夔鳳鏡(きほうきょう)等が出土している。オケオ(Oc-Eo)遺跡は西洋と中国を結ぶ海のシルクロードの拠点であると言われている。 

中国の三国時代(229年頃)に呉の朱応と康泰が扶南国を訪れ、その見聞録を「扶南異物志」と「呉時外国伝」に書いている。扶南国が中国に初めて朝貢したのは呉であり、赤烏6年(243年)にニ度目の朝貢を行っている。朝貢とは多くの見返りを求めた朝貢貿易と解釈されている。扶南国は226年から626年の間に、中国王朝に28回も朝貢している。中国に朝貢した時期は、弥生時代後期から古墳時代にかけてであり、まさに日本のソーダ石灰ガラスとアルミナソーダガラスが普及した時期である。
 

山梨県の狐塚古墳からは赤烏元年の銘がある平縁神獣鏡が、兵庫県の安倉古墳からは赤烏7年銘の平縁神獣鏡が出土している。扶南国の船はガラスビーズと共に見返りに貰った鏡も、日本で交易品として使ったのであろうか。扶南国は航海に長けた国であり、日本と交易を行って交流いた可能性は十分あると考える。弥生時代後期から古墳時代において、ソーダ石灰ガラスとアルミナソーダガラスのビーズや製造技術が我国に伝わった源流は、ベトナム南部の古代国家扶南国の港、海のシルクロードの拠点であったオケオ
Oc-Eo)であったと推察する。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。