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30-8.百間川遺跡はガラス生産遺跡か [30.ガラス素材は弥生時代から造っていた]

岡山県の百間川遺跡の弥生前期・中期・後期の土壙から、ガラス滓・焼土・炭・灰・砂粒が出土した。岡山県古代吉備埋蔵文化財センターの井上弘氏は、従来「ガラス滓」と報告された遺物を「ガラス」であるとして、遺物の出土する範囲に掘立柱建物が集中していること、焼土の存在から炉の存在を考え得ること、分析結果が非常に硬いガラスであることから、ガラスの生産に関係した遺跡であるとしている。 

私は「ガラス滓」という言葉に疑問を持っている。金属の製錬や溶融においては、鉱石に含まれていた酸化物や金属の酸化物が溶融金属の上に浮く、これが鉱滓(スラッグ)である。ガラスの場合は原料自体が酸化物であり、金属で言うスラッグは発生しないと思われる。「ガラス滓」とは「出来そこないのガラス」の事を意味しているのだろう。百間川遺跡のガラス状遺物は、粘土と塩性植物のサンゴ草(
Salicornia)灰で作られたガラスであると私は考える。
                                      SiO2   Al2O3
 Fe2O3    Na2O    K2O   CaO    MgO    
   ①粘土      
75%    16%     5.4%      0.4%   1.1%   0.3%   1.1%                              
   ②サンゴ草
灰        6.0%   1.7%    0.8%     35%     4.0%   5.0%   5.4%  
   ①
x74%+x26%  65%    14%  4.8%     11%     1.1%   1.7%   2.2% 
   百間川ガラス遺物 
63%    13%  3.7%     12%     1.8%   2.4%   3.7%   

G82 岡山サンゴ草.jpg前表のサンゴ草灰の分析値はイタリアのベニスで採取されたものを使用した。サンゴ草はアッケシ草とも呼ばれ、北海道の厚岸湖で初めて発見されたが、現在は網走市の能取湖が有名である。サンゴ草は寒帯地方に分布するが、岡山県や愛媛県・香川県の塩田跡地でも自生が確認されている。岡山県の児島半島が古代には島であったことを考えると、現在サンゴ草が自生している浅口市寄島町と百間川河口付近は同じ環境下にあり、サンゴ草が群生する最適地であったと考えられる。
 

藤田等氏は『弥生時代のガラスの研究―考古学的方法―』で百間川遺跡について、「このガラス滓・ガラス塊がガラス生産の結果として生じたものであれば、日本のガラスの歴史は大きく書き換えられる可能性がある。それは弥生時代前期にガラス生産が開始されたことを意味するからである。土・砂・植物灰が高熱によりガラス化することは、どのような条件、どのような構造によってしょうじたのだろうか。ソーダ石灰ガラスの場合、原料を溶解するための温度は1400~1500℃を必要とし、温度の持続性が問題となる。現状では偶然の所産と考えざるを得ないが、今後の大きな課題としなければならない。」と述べている。
 

百間川遺跡のガラス状遺物を出土した土壙は、弥生前期1遺構、中期18遺構、後期5遺構あるにもかかわらず、遺構が発掘されて30年たった現在でも、ガラスの生産に関係した遺跡であるとは認められていない。

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