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27-5.中国(前漢・後漢)のガラス [27.古代ガラスの源流を探る]

前漢時代(紀元前206~後8年)になると、鉛バリウムガラスによるガラス製品(璧・容器・装飾具)が多く作られている。ガラス璧は陝西省興平市、江蘇省淮安市、広東省広州市、広西省合浦市などで出土、ガラス容器は江蘇省徐州市の楚王墓(紀元前128年G14前漢鉛バリウむ.jpg頃)から円筒形杯が、河北省満城県の中山靖王墓(紀元前113年没)から耳杯と盤が出土している。ガラス武装具が河南省洛陽市・禹州市、江蘇省徐州市・盱眙県・江都市、湖南省長沙市で出土している。また玉衣をガラスに置き換えたガラス布片約600が江蘇省揚州市から、金銅(鍍金青銅)でガラス板の縁装飾したガラス牌が広東省広州市から出土している。 

G15突起付き環.jpg前漢時代にはカリガラスの製品が中国南西部から出土している。広西省合浦市の文昌塔1号前漢墓から青緑色透明の突起付きのガラス環が、同市飼料公司7号前漢墓からは半透明のコバルト着色紺色のガラス環が出土している。湖南省長沙市沙橋の前漢墓から出土したガラスの矛は材質の分析がなされていないが、比重が2
.47であることから鉛バリウムガラスではなく、カリガラスであると考えられている。伴出した陶製の五銖銭は、形態から前漢の紀元前113年~前49年のであることが分かっている。広東省広州市の横枝崗1号墓出土の紺色碗3点、広西省合浦県や貴港市の前漢墓から紺色・青色のカリガラスG16前漢ガラス分布.jpgの碗と盤が4点出土している。 

前漢時代のカリガラスのトンボ玉が南西部から戦国に引き続き出土している。ただ、遥か離れた青海省・北京市からも出土している。データが少ないので全国的な広がりを持つのかどうか不明である。図16は前漢時代のガラス製品の組成別分布図である。
特に注目すべきは、鉛バリウムガラスの中心地が湖北省から江蘇省に変わったことと、カリガラスの容器が広西省で 発展していることである。

後漢時代(紀元後20~220年)中原で製作されたガラスは、武装具のような小物が多くなる。ガラスの組成も鉛バリウムガラスが衰退し、鉛ガラスが一般的となる。この鉛ガラスは紀元前2世紀頃に出現し、漢代に流通したがその後3世紀後半頃には一時途絶え、隋代6世紀末には復活して多量に流通した。『随書』の何稠(かちゅう)伝の「緑瓷(瓶)をもって久しく絶えていた中国ガラスを復活させた」という記載は、この鉛ガラスのことを物語っていると考えられている。
 

後漢時代の広西省合浦県・貴県からは、前漢に引き続き多量のカリガラス容器(碗・脚坏・托・盤)の5点が出土している。これらのカリガラスは青・緑・青・紺色の透明・半透明である。カリガラス製品の出土は、広東省・広西省・雲南省が中心だが、甘粛省・河南省・江蘇省などからも出土している。このカリガラスも漢代以降は途絶えている。

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