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27-4.中国(戦国時代)のガラス [27.古代ガラスの源流を探る]

中国のガラスの始源は、表面の釉薬は融けてガラス化しているが、内部の胎は完全にガラス化していない、ファイアンスで作られた珠である。西周時代(紀元前1020~770年、都:陝西省西安)の陝西省の宝鶏市・扶風県・岐山県・長安県や河南省洛陽市から、G9ファイアンス珠.jpg稜や瘤(こぶ)のある淡青色から淡緑色の単色の珠が全部で1000点以上出土している。春秋時代(紀元前770~403、都:河南省洛陽)のファイアンス珠が、河南省の陝県と淅川県から出土している。形態は稜や瘤(こぶ)があり、西周時代のものと同じである。戦国時代(紀元前403~221年)のファイアンス珠には眼玉模様が登場する。眼玉模様のガラス珠のデザインは、オリエント(メソポタミア・シリア・エジプト)にあると言われている。 

g10戦国トンボ珠.jpg戦国時代(紀元前403~221年)の遺跡からは、眼玉模様のガラス珠(重層貼付同心円文珠)、いわゆるトンボ玉が多数出土している。これらのトンボ玉のガラス組成は、鉛バリウムガラス
PbO-BaO-SiO2)が最も多く、ほんの僅か鉛ガラス(PbO-SiO2が存在している。ソーダ石灰ガラス(Na2O-CaO-SiO2)とカリガラス(K2O-SiO2)が少量ある。ガラスの組成別に出土地を見てみと、鉛バリウムガラスのトンボ玉は湖南省・河南省・山東省から多量に出土している。河南省洛陽市・輝県、河北省平山県、湖北省随州市・荊州市、山東省曲阜市、湖南省長沙・湘郷市、安徽省毫州市、広東省肇慶市、貴州省安順市、四川省青川県、重慶市開県、甘粛省礼県である。鉛ガラスは河南省洛陽市でG11曽候乙墓トンボ玉.jpg1個見つかっている。 

カリガラスのトンボ玉では湖北省荊州市・黄岡市、貴州省畢節市、四川省理県、雲南省玉渓市江川県。ソーダ石灰ガラスでは、河南省洛陽市・国始県・輝県・淅川県、湖北省随州市である。湖北省随州市の曽候乙墓(紀元前433年没)は、夥しい青銅器や玉器が出土した有名な墓である。曽候乙墓から出土したトンボ玉のほとんどはソーダ石灰ガラス珠であるが、鉛バリウムガラス珠も混じっている。前漢劉安の『淮南子』という書物に「随公之珠」とあり、曽候(随公)乙墓の墓から出土した珠と関係があるのではないかと言われている。
 


G12ガラス璧.jpg戦国時代のガラス璧が、湖南省(当時楚国)に集中して出土している。湖南省長沙市・湘郷市・常徳市・益陽市・資興市などの楚墓からである。写真12は湖南省長沙市楊家山出土のガラス璧(直径
11.3cm、厚み0.2cm)である。ガラスの剣装具(剣首と剣珥)も、湖南省の長沙市・湘郷市・益陽市、そして安徽省寿県、湖北省江陵県で出土している。これら壁と剣装具のガラス組成は、鉛バリウムガラスである。 

河南省輝県市瑠璃閣出土の呉王夫差(紀元前473年没)銘青銅剣と、湖北市荊州市江陵楚墓出土の越王勾践(紀元前465年没)銘青銅剣に象嵌されていたガラスはカリガラスであった。鉛バリウムガラスとカリガラスは、西アジアには見られないガラス組成である。
 

G13戦国ガラス分布.jpg図13は戦国時代のトンボ玉・璧・装飾品などのガラス製品の、組成別分布である。鉛バリウムガラスは湖南省の長沙を中心に分布、ソーダ石灰ガラスは河南省洛陽を中心に分布、カリガラスは長江沿いに分布している。鉛バリウムガラスは中国独自のガラスであり、カリガラスはオリエントにはないガラスで、インド・タイ・ベトナムで確認されている。ソーダ石灰ガラスの起源は、眼玉模様のガラス珠のデザインと共に、オリエント(メソポタミア・シリア・エジプト)にある。戦国時代にオリエントのトンボ玉が中国に来ていたと考えられている。

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