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27-3.ササン朝ペルシャのガラス [27.古代ガラスの源流を探る]

ササンガラスはイラン高原・メソポタミアを支配したササン朝ペルシャ(226年~651年)で作られたガラスである。本質的にはローマガラスの技法を応用したものであり、G6切子碗.jpg成形法としては型吹き法と宙吹き法の両者が使われている。ササンガラスの大きな特徴は、器の表面全体に、円形の文様を装飾していることだ。これらの円形文様は、ガラスの円塊を溶着したものや、凹や凸の円形模様を削り出すカット(切子)技法、そして型に模様を付けておくものなどがある。ササンガラスの組成は、ソーダ石灰ガラス(Na2O-CaO-SiO2)であるが、砂漠の植物灰で作られたため、マグネシア(MgO)の量が多くなっている。 

G7正倉院.jpg正倉院の宝物に「白瑠璃碗」という円形切子碗がある。この白瑠璃碗はシルクロードを通ってペルシャよりやって来たササンガラスである。この白瑠璃碗の製作地が、ササン朝ペルシャであると判明したのは、20世紀半ばのことだそうだ。昭和34年3月、東京大学イラン・イラク調査団の先発隊としてイランの首都テヘランにいた深井晋司氏は、なにげなく入った骨董屋で、ガラクタの中に正倉院の宝物の「白瑠璃碗」と同じ円形切子装飾を施したカットグラスを見つけたそうだ。

深井氏の著書『ペルシャのガラス』には、「いったい正倉院のガラス器と同じ作品がこんな骨董屋の、しかもがらくたの中にあるのか、そんなはずはない」と書かれてあり、その時の興奮ぶりが伺える。
 このカットグラスはイラン北西部のカスピ海沿岸ギラーン州のアムラシュの遺跡から、盗掘品として約100個が古美術市場に出回ったものの一つであった。円形切子装飾を施したカットグラスが製作され始めた年代は、紀元1世紀頃まで遡ると推定されており、ササン王朝時代に隆盛を極め、七世紀後半イスラム時代に入って衰退すると考えられている。なお、正倉院の白瑠璃碗の組成は酸化鉛が5%含むソーダ石灰ガラスであるが、アムラシュの遺跡の同種のカットグラスは、鉛を全く含まないソーダ石灰ガラスであるという。正倉院の白瑠璃碗の故郷が100%解明されたわけではないのである。

G8ササン朝ペルシャ.jpg図8に6世紀のササン朝ペルシャと東ローマの領土を地図に示した。ササン朝ペルシャと東ローマの戦いは繰り返し行われており、6世紀のシルクロードがササン朝ペルシャで行き止まり、ペルシャの製品が東方に出回ったことが分かる。中国の寧夏回族自治区固原県と陝西省西安市から、浮き出しの円形文様のあるササンガラスの椀と瓶が出土している。

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