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26-5.子安貝を求めて海を漕行した苗族 [26.インディカ、5千年の旅]

B87 インドネシア銅鼓.jpg図B87は、東京大学の今村啓爾氏のヘガーⅠ式銅鼓分布図を改変したものであるが、図にみられるように、インドネシアのジャワ島やそれより西の小さな島々から銅鼓が出土している。雲南省の滇国時代の石寨山遺跡や李家山遺跡から多量の銅鼓と共に、青銅器の銅鼓によく似た貯貝器が多数出土している。この貯貝器は、当時貨幣として使われていた子安貝を入れておく容器であった。滇国はインドネシアの諸島まで、子安貝を求めて行っていたと考えられる。 
B88 銅鼓と舟.jpg
史記によると、戦国時代に楚の将軍荘蹻(そうきゃく)は長江の沿岸をさかのぼり、滇池まで攻め入り平定した。帰国しようとした時、秦が楚を破って、道が塞がれて帰国出来なかった。そこで、荘蹻は滇の王となったとある。黄河文明を育んだのが漢民族であるが、戦国時代の七雄のひとつの楚は、漢民族でなく長江文明の流れを汲む苗族の系統とされている。荘蹻はもとの楚王の末裔で苗族の系統であり、荘蹻を王と受け入れた滇国も、もとから苗族が作った国であったのであろう。
 

図88は石寨山遺跡から出土した銅鼓に描かれた舟である。現在、
雲南省や貴州省・湖南省・広西省などに住む少数民族である苗族B89 龍舟競渡.jpg
(ミャオ族)は、龍舟競渡の祭りがある。図89は貴州省の清水江で龍舟競渡に漕がれた舟である。銅鼓に描かれた舟によく似ている。苗族(ミャオ族)は、今でも祭りには銅鼓を楽器として使用している。また、西双版納(シーサンパンナ)にも龍舟競渡の習慣があり、タイ族の水かけ祭りに行われている。子安貝を求めた苗族は、タイ族と共に舟でメコン川を上り下りしたのであろう。
 

B90 中国銅鼓.jpg図90は、鳥越憲三郎氏の「古代中国と倭族」にある中国における銅鼓の分布図である。石寨山遺跡や李家山遺跡から多量に出土した銅鼓が1つの点でしか表わされてなく、雲南省が少なく見えるが、貴州省や広西省と、苗族(ミャオ族)の多い地域に銅鼓が多数出土していることが分かる。注目したいのは、四川省と雲南省の境界、金沙江(長江上流)の川沿いに銅鼓が多く出土していることだ。蜀から雲南の道は金沙江を上り下りしたのであろう。それほど苗族は舟を漕ぐのが得意であった。子安貝を求めて、舟でジャワ海を漕行したのは苗族であったと考える。


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