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25-4.インディカの起源はタイ東北部 [25.インディカの起源を探る]

B75 nivara分布.jpgニヴァラは一年生で、雨季と乾季がはっきりしている所に生息し、乾季には。花を咲かせ種子を実らせる。種子は脱落し、次の雨季が来るまで休眠し発芽しない。すぐ発芽すると、水がないから枯れてしまい繁殖できないからだ。図B75に見られるように、ニヴァラはインドシナ半島とインド大陸の熱帯サバンナ気候に多く生息している。 前節の図B74の系統樹において、緑色のニヴァラではインドのニヴァラは枝の先にあり、タイのニヴァラはそれよりも幹に近い所にある。このことより、インディカの先祖は、インドではなく
タイに生息するニヴァラに近いことが分かる。
 

B'6 タイnivara.jpgタイの
Kasetsart Universtyは、2009年に「香り米」の遺伝子をもたらした野生イネを同定するために、ルフィポゴン184種、ニヴァラ60種を調査している。ニヴァラの採集地を図B76に示した。数字は採集品種数、1は未記入。これらから見ると、ニヴァラはタイの東北部にあるコラート台地に多く生息している。コラート台地は標高200m程度の広大な台地である。私は南北と東西に二度横断したが、その印象は「たいらランド、タイランド」であった。台地にはメコン川の支流が流れている。 

スンダランドのほとんどが水没した頃、熱帯ジャポニカのウルチ米を携えてメコン川を遡った人々は、ラオス北部やタイ北部に定住し、
焼畑による稲作を始めた。その人々の中には、コラー台地の北部に定住した人々もいた。バンチェン遺跡やノンノクター遺跡がある地域である。こと辺りの川辺は、雨季には浸水するが乾季には乾燥して、人々が栽培した陸稲の熱帯ジャポニカのウルチ米は、野生のルフポゴンに戻ることなく実った。 
B77インディカ誕生.jpg
熱帯ジャポニカを植えた土地には、野生イネのニヴァラが生えていたため、ニヴァラの花は熱帯ジャポニカの花粉で受粉する他家受粉の機会が多くなった。数代に渡って他家受粉を繰り返して行くと、葉緑体の遺伝子は母系のニヴァラであるが、核の遺伝子は父系の熱帯ジャポニカのウルチである核置換型品種、インディカが誕生した。図B77に核置換型品種の出来る過程を示す。この図は「稲作の起源」池橋宏より引用し、赤字は加筆した。
 

自然界ではニヴァラとルフポゴンも棲み分けが出来ていて、交雑することがなかったのが、栽培ということで人間が介在し、棲み分けを無くしたために、新しい品種のインディカが誕生したのである。インディカはたわわに実り、脱粒が少なく多くの米が収穫出来るので、人々はインディカを選別して栽培するようになった。インディカのウルチの誕生は、熱帯ジャポニカのモチと同じ5000年前の頃と考える。

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