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22-11.縄文稲作はなかったか [22.縄文稲作は存在したか]

藤原宏志氏のプラントオパールの研究により、縄文遺跡(縄文後期以前)から出土した多量のプラントオパールがイネ(ジャポニカ)のものであると同定され、また佐藤洋一郎氏の弥生遺跡から出土した炭化米のDNA分析により、弥生稲作には温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカの両品種が栽培されていたことが分かった。これらより縄文稲作が存在し、熱帯ジャポニカが栽培されていたということが導きだされている。炭化米の出土例(風張遺跡のみ)が少なく、水田とか畑や農具などの栽培の痕跡がなく、状況証拠だけであるが、縄文時代に熱帯ジャポニカが栽培されていたと信ずるに足りると考える。しかし、まだ縄文稲作を否定する考古学者や農学者もいる。 

池橋宏氏は農林省勤務後京都大学教授を務められたイネ学の専門家である。池橋氏の著書「稲作の起源」の帯には、「縄文稲作はなかった」と大きく書いてある。池橋氏は縄文稲作の確実な「物証」として、土器に付着したイネのモミガラの痕跡が取り上げられているが、これら全てがイネのモミ痕ではないと、
板屋Ⅲ遺跡・南溝手遺跡・大矢遺跡の土器のモミ痕の写真を掲げて反論し、これらを縄文稲作の証拠とすることは出来ないとしている。 縄文土器に付着したイネのモミガラの痕跡が、イネのものであるかどうかは、見解の相違であって、池橋氏の意見が間違いなく正しいとするには根拠は薄いように思えた。最近は土器にある圧痕をシリコンで型取りして走査電子顕微鏡で観察する、レプリカ・セム法による種子の同定が行われている。縄文土器に付着した種子の圧痕についても研究が進むであろう。 

池橋氏は土器の胎土に含まれていたイネのプラントオパールについて、縄文土器のモミガラのような痕跡がイネでないとなると、プラントオパールの検出は孤立した証拠にすぎない。また土層からのプラントオパールについても、水田や畑の痕や作物そのものの痕跡がないと、プラントオパールの証拠としての価値はないとしている。
 そして「専門以外の者がプラントオパールのデータについて、証拠力を検討することは出来ない。しかし、肝心の植物遺体の痕跡や栽培の痕跡がないということを考慮すると、これらのデータの意味は理解できない。」とあり、直接的証拠がないかぎり、縄文稲作は認められないと主張している。 

池橋氏の「稲作の起源」には、イネの栽培化は「種播き」から始まったのではなく、「株分け」から始まったということを述べている。これら稲作の起源が株分けからという直接的証拠はない。「学者」という人は
直接的証拠を探すのも仕事、また情況証拠を積み重ね真実をあぶり出すのも仕事であろう。他人の研究には直接的証拠がないと否定して、自分の研究は状況証拠で物を言う、これはどうかと思われる。 

考古学者の中には、プラントオパールは非常に小さいので、縄文土器を含む土層のイネのプラントオパールは、その土層の上の層からしみ込んできたのではないかとの意見もあるそうだ。縄文土器の胎土からイネのプラントオパールがあったことで、この意見は否定されている。
 

B37野生稲.jpgプラントオパールはイネの葉にあるので、プラントオパールがあったからと言って稲作(イネの栽培)が行われたとは言えないとの意見もある。たしかに、縄文時代に日本に野生稲が生えていたら、その土層からはイネを栽培したくらいのプラントオパールが出土することは考えられる。図B37は佐藤氏の著書「DNAが語る稲作文明」(1996年)に載っている野生イネの分布図に、私が北限の近くの都市の最高気温月の平均気温と、最低月の平均気温を加筆したものである。 
                           (図をクリツクすると大きくなります)
図には縄文稲作の痕跡が出土した遺跡に近い岡山市と熊本市の気温も載せてある。最高月平均気温を見ると、野生イネの北限地域と岡山・熊本はそれほど変わらない。最低月平均気温で見ると、中国江西省の南昌を別にすると、野生イネの北限地域と岡山・熊本では7度以上の差がある。縄文海進(前期~後期)のころは、日本列島も現在より気温が高かったといわれるが、平均気温が前期頃は現在より2度高く、中期頃は1
.5度低く、後期頃で0.5度高い。地域差の方がはるかに大きい。 

中国江西省南昌の最低月平均気温は岡山・熊本と同じである。江西省東郷県の野生イネは1978年に発見され、世界最北端の野生イネであると認められた。「パンダより保護されるべき種」として世界から注目をあびたそうで、特異なケースと考えてよさそうだ。
 佐藤氏は「植物学的な立場からみると、縄文時代に日本列島に野生イネがあったことを考えるのは、栽培イネがあったと考えるよりさらに数段難しい」としている。日本には野生イネはなく、縄文稲作は存在したと私は確信した。
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コメント 2

razy.c

面白い記事をありがとうございます。
誤記だと思われる部分がありましたのでご報告致します。

”岩崎氏の「稲作の起源」には、イネの栽培化は「種播き」から始まったのではなく、”
これは”岩橋氏の…”の誤記ではないでしょうか?
by razy.c (2012-03-28 15:47) 

t-tomu

ご指摘ありがとうございます。人名を間違えるなどあるまじき事でした。「稲作の起源」を書かれたのは池橋宏氏であり、数ヶ所間違っておましたので訂正いたしました。
by t-tomu (2012-03-28 22:30) 

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