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22-10.炭化米のDNA分析 [22.縄文稲作は存在したか]

プラントオパール分析により、縄文稲作の可能性が出て来ると、縄文稲作で栽培されたイネが熱帯ジャポニカで、南西諸島を経由して日本に伝わったと、佐藤氏が考えるに至ったと推測する。そしてプラントオパールの形状によって、イネの品種を判別出来ないか、そうすれば縄文稲作は熱帯ジャポニカであったと証明出来ると、藤原氏と共同で実験を行ったのであろう。本には書いてないが、プラントオパールの形状からは、温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカが明確には判別出来ないと知ったときには、佐藤氏はさぞガッカリされた事であろう。 

佐藤氏は1983年に静岡の国立遺伝学研究所に移られている。そして、1994年に佐賀県の菜畑遺跡の炭化米から、世界で初めて炭化米からDNAを抽出することに成功している。こう書くと、最初から目算があって行ったように思えるが、実際はNHK佐賀放送局の女性ディレクターの「炭化米からDNAがとれないか」との思いつきから出発したものだそうだ。
 

そのとき「炭化米は炭であること、炭は燃えてできたものであること、そして燃えてしまって何千年たったものからはDNAはとれない」と説明したそうだ。それでも諦めなかった女性ディレクターが「菜畑遺跡の炭化米を一粒手に入れたから分析して欲しい」と持ち込んだという。「事実は小説より奇なり。絶対とれるはずのなかったDNAがとれてしまった」と著書「DNA考古学」(1999年)に記載している。
 

遺跡から出土している炭化物は、燃えて出来たのでなく、長い年月の間に、土中で自然に炭化して出来たのだと、私は友人の科学屋のFさんから教わった。そのため、芯の部分にはDNAが残されており、DNA分析が出来るのであろう。DNA分析は日進月歩の世界、初めはジャポニカとインディカの区別しか出来なかったものが、今では少しの試料で温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカの区別が出来るようになっている。
 

佐藤氏は科学研究費補助金を受け、1998年から2001年に「考古遺跡から出土する炭化米の遺伝情報・・・」というテーマで、全国17ヶ所の遺跡から出土した炭化米207粒についてDNA分析をしている。その結果は、古代の日本列島のイネのほとんどがジャポニカであり、またその約40%が熱帯ジャポニカであったそうだ。
 

B36熱帯ジャポニカ.jpg図B36「熱帯ジャポニカが出土した弥生遺跡」は、2001年、和泉市で行われた日中韓国際フォーラム「見えて来た稲の道」で佐藤氏が講演した資料と著書「稲の日本史」(2002年)、またその後新聞発表されたものをもとにして作成した。弥生時代に熱帯ジャポニカが、日本列島に広く分布していたことが分かる。なお、これらの遺跡の炭化米には温帯ジャポニカ(一部には温帯・熱帯ジャポニカの区別がつかないもの含む)も出土している。現在の在来種(温帯ジャポニカ)に熱帯ジャポニカの遺伝子がある証拠でもある。

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