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22-8.稲のきた道 [22.縄文稲作は存在したか]

NHK連続ドラマ「カーネーション」は、ダンジリで有名な大阪府岸和田市出身のファッションデザイナー小篠綾子をモデルとした物語である。この岸和田市には、朝日新聞と共同で毎年「濱田青陵賞」を、将来の考古学会を担う独創性のある中堅研究者に授けている。この「濱田青陵賞」は、岸和田市出身で日本考古学会の「開祖」であり、京大総長を務めた濱田青陵を記念して設けられたもので、今年で24回の受賞を授けており、この分野では権威のある学術文化賞である。 

総合地球環境学研究所教授の佐藤洋一郎氏は、2004年の第17回の浜田青陵賞を、考古学者以外で初めて受賞された。浜田青陵賞20周年記念誌には、佐藤洋一郎氏を次のように紹介している。「稲作は弥生時代の初め、中国・朝鮮半島からもたらされた水稲で始まった。教科書にも記されてきた考古学のこんな『常識』に疑問を投げかけ、新説を問うてきた。手がかりはDNAだ。弥生時代の炭化米のDNAを分析し、水田に適した『温帯ジャポニカ』だけでなく、東南アジアで栽培される品種『熱帯ジャポニカ』がかなりの割合で含まれると証明した。この人流に教科書を書き直せば『縄文時代に焼畑による稲作は始まっていた』となる。」
 

B33 稲のきた道.jpg日本に稲が伝来したルートには、図B33に示すように、朝鮮半島経由か、中国の江南地方から直接来たか、はたまた柳田国男の南方諸島経由の3説がある。佐藤洋一郎氏の著書「稲のきた道」(1992年)を読むと、佐藤氏はその伝来ルートを検証するために、日本の在来品種(地方の風土に適し、その地方で長年栽培された品種)の中に、熱帯ジャポニカの遺伝子を持つものがないか、特殊な品種との交配を行い、育種により調査している。
 


B34 熱帯遺伝子.jpg図B34にみられるように、日本の在来品種のほとんどが温帯ジャポニカである。しかし全国各地に熱帯ジャポニカの遺伝子を持った温帯ジャポニカが存在し、特に南西諸島に多いことが分かる。これはかつて日本に熱帯ジャポニカがあったことを間接的に示し、後から日本に来た温帯ジャポニカと自然交配して遺伝子を交換していたとしている。

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