22-5.縄文稲作とプラントオパール [22.縄文稲作は存在したか]
1999年4月、岡山理科大学発掘チームが、岡山市津島東の朝寝鼻貝塚から採取していた縄文時代前期初め(6000年前)の地層から、稲作の栽培を示すプラントオパールを約50個、検出したと発表している。同地層は地表から3メートルの深さにあり、縄文時代前期の型式の土器が出土しており、検出したプラントオパールは栽培種の「イチョウの葉」の形をしていたという。
005年2月、岡山県の児島半島にある灘崎町の彦崎貝塚の縄文時代前期(6000年前)の地層(地下2.5m)から、イネのプラントオパールが大量に見つかっている。その量は土壌1グラム当たり2000~3000個であった。プラントオパール分析で水田址の探査や検証を行う時の判断基準が3000個/グラムであるとされている。これらからして彦崎貝塚のプラントオパールの量は、栽培方法(陸稲・水田)は別として、縄文前期にイネの栽培が行われていたという証明になると思われる。
表B27に縄文稲作の遺跡を示す。この表は縄文前期・中期・後期の遺跡のみとした。縄文晩期を入れなかったのは、歴博による水田稲作の北部九州の伝来が、紀元前10~前9世紀(約3000~2800年前)とされ、縄文晩期(約3000~2300年前)にあたるからで、縄文晩期の稲作は弥生水田稲作の前段階であると考えたからである。表を見ると、縄文稲作の存在を証明したのは、プラントオパール分析であることが分かる。
2011-12-03 00:00
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