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20-5.事実は物理学より奇なり [20.青銅器の鉛同位体比の秘密]

-12「弥生の故郷は山東半島」で取り上げた吉武遺跡群の朝鮮系青銅器の多鈕細文鏡・細形(剣・矛・戈)は、鉛同位体比分布図でラインDを形成していた。このラインDには、多鈕細文鏡・細形(剣・矛・戈)の他に、中細形(剣・矛・戈)と銅鐸(菱環鈕・外縁1式)が載っている。ただし、中細形剣である荒神谷遺跡出土の358本の剣は、ラインDには載らない。吉武遺跡群以外の、ラインDに載る青銅器について分布図を図B13描いた。データ140個で、異常値で省いたのは4個であった。 
B13朝鮮系.jpg
図B8の馬淵氏が作成された「古代青銅器の鉛同位体分布図」の模式図では、208Pb/206PBの値が2.15以上は領域Aだけである。しかし、吉武遺跡群のデータと同じように、2.15を越え、ラインDに載る、細形・中細形剣(剣・矛・戈)と銅鐸(菱環鈕・外縁1式)は36個あり、朝鮮系青銅器の26%を占める。36個の内、細形・菱環鈕が6個、中細形と外縁1式が30個になっている。     
            (図をクリックするとおおきくなります)
細形・中細形剣(剣・矛・戈)と初期銅鐸(菱環鈕・外縁1式)の青銅器は、山東省の香奇鉱山の鉛を使用して作られ、製錬や製品の鋳造時に、鉛の同位体比が変化してラインDを形成した。香奇鉱山の近くのプロットに、中細形(剣・矛・戈)と銅鐸外縁1式が多いのは、時代が新しいほど技術が進歩し、過熱が減少し、同位体比の変化が少なくなったからと考える。
 

B14三星堆.jpg直線距離で1850kmも離れた、雲南省の会沢鉱山の方鉛鉱と山東省の香奇鉱山の鉛同位体比は、両者ともにラインDの延長線
に載っている。時代が1千年以上も違う、四川省の三星堆遺跡出土の青銅器(紀元前12世紀頃)と日本出土の朝鮮系青銅器(含むと初期銅鐸)の鉛同位体比は、両者共にラインDの延長線に載っている。両者の鉛同位体比を図B14に示す。馬淵久夫氏や新井宏氏の言われる、ミシシッピ・ブァレー型の鉱床や、二つの鉱山の方鉛鉱の混合とかでは説明出来ない分布である。 

この分布は何を意味するのであろうか。1850kmの距離、1千年以上の年月を同じに考えるためには、地球規模で考えなくてはならない。「地球内部(閉じた系)で生成した方鉛鉱は、同じ年代に生成したかぎり、場所が異なっても、それらの鉛同位体比の値は、同位体比分布図に直線(アイソクロン)として現れる。」これは、地球物理学ではよく知られている。雲南省の会沢鉱山の方鉛鉱と山東省の香奇鉱山の鉛同位体比が、同じ年代(百万~5百万年前の間)に生成されたと考える。
 

ここからが、地球物理学でも考えられたことのない、私の仮説である。
「同じ年代に生成された方鉛鉱は、製錬や鋳造の加熱により、鉛同位体比が変化する場合、鉛が生成した時の直線(アイソクロン)上に変化する」である。こう考えると、四川省の三星堆遺跡出土の青銅器と日本出土の朝鮮系青銅器(含むと初期銅鐸)の鉛同位体比が、共にラインDに載っているのが理解できる。また、同種・同形の青銅器の鉛同位体比が直線を示すことも、そして、その直線の端に鉛の産地の鉱山があることも理解出来る。「事実は物理学より奇なり」である。
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