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19-7.継体陵は今城塚古墳か [19.天皇陵の古墳年代を解く]

継体天皇陵は現在茨城市太田にある太田茶臼山古墳に比定されている。太田茶臼山古墳は全長227メートルで第20番目の大きさで、在位19年の継体天皇にとっては相応しい古墳である。しかし、古墳年代が450年と、継体天皇崩御533年とは大きく離れている。考古学者のほとんどが太田茶臼山古墳から東1.5キロメートルの高槻市にある、今城塚古墳を継体天皇の陵であると考えておられる。今城塚古墳の古墳年代は520年となっているからだ。 

考古学者が今城塚古墳を継体天皇の陵と比定したその理由は、今城塚古墳から出土する須恵器の多くはTK10型式のものであり、それと同じ型式の須恵器が福岡県の筑紫君磐井の墓と想定される岩戸山古墳から出土している。日本書紀に筑紫君磐井は没年が528年と書かれ、継体天皇の崩御は531年(元年表533年)と時代が一致したためだ。
 

一方、太田茶臼山古墳は継体天皇陵に治定され、その出土品は少ないものの、埴輪が高槻市の新池遺跡A期に造られたものであることが分かっている。A期の窯や工房・集落で出土する須恵器はON46型式である。A期の窯の地磁気の測定では、AD450±10年と出ているそうだ。
太田茶臼山古墳からもON46型式の須恵器が出土している。今城塚古墳の円筒埴輪には船のヘラ記号がついたものがあるが、新池遺跡のC期の窯や井戸・溝から同じヘラ記号がついた円筒埴輪が出土しており、今城塚古墳の埴輪で製作されていることが確認されている。また、新池遺跡の船のヘラ記号の円筒埴輪とMT15の須恵器が共存している。 

須恵器の編年からすると、ON46→TK208→TK23→TK47→MT15→TK10である。太田茶臼山古墳はON46の時代、今城塚古墳はMT15~TK10の時代である。須恵器の絶対年の編年は、まだ確定してないと思われるが、MT15~TK10は6世紀前半と考えられており、今城塚古墳の古墳年代は520年と合致している。今城塚古墳の墳丘長は190メートルで、在位年数と墳丘長の関係からみると、許容範囲の範疇にはある。継体天皇陵は定説通り、今城塚古墳と扱って行く。

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