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19-5.天皇崩御の年と古墳年代 [19.天皇陵の古墳年代を解く]

図53古墳年代.jpg図53に天皇崩御の年と古墳年代のグラフを示す。横軸が私の元年表による天皇崩御の年、縦軸は白石太一郎氏の大型古墳編年図から得た古墳年代の代表値である。私の年表で259年に箸墓古墳(古墳年代260年)に葬られた倭迹迹日百襲姫命を卑弥呼とした。魏志倭人伝によると卑弥呼は248年に亡くなっている。また、日本武尊の白鳥陵は元年表より329年に亡くなり、宮内庁治定の前ノ山古墳としてプロットした。神功皇后は元年表より389年に亡くなったとした。これらの関係から、大きく外れているのが日本武尊陵、仲哀天皇陵、神功皇后陵、継体天皇陵である。


仲哀天皇陵は岡ミサンザイ古墳であるが、古墳年代が480年と仲哀天皇陵崩御の年、353年と大きく違っている。仲哀陵は古市古墳群で津堂城山古墳に次いで古いとされる仲ツ山古墳に比定する。仲ツ山古墳の古墳年代は390年であり、仲哀天皇の崩御353年より、古墳年代の方が37年新しくなっている。この事については次節で説明する。仲ツ山古墳は、現在応神天皇の皇后であり、神武天皇の母である仲姫の陵に治定されているが、その可能性のないことが次節で明らかになるであろう。仲ツ山古墳の墳丘長は286メートルと、仲哀天皇の在位5年にしては大きいものであるが、これは神功皇后の権勢の影響があったものと考える。
 

神功皇后の陵墓は、現在佐紀古墳群で最も古いとされている、五社神(ごさし)古墳に治定されている。五社神古墳の古墳年代は345年で、神功皇后の亡くなった389年と比較すると、古墳年代の方が44年古くなっている。平成20年2月22日、宮内庁は陵墓として初めて神功皇后陵に研究者の立ち入り調査を認めた。そのシンポジウム「陵墓研究のいま・・神功皇后陵から五社神古墳へ・・」が4月5日に行われている。注目すべきことは、墳丘を覆っている葺き石より外側に円筒埴輪が認められたことから、前方部の両側に造り出し部が存在した可能性があるとし、神功皇后陵は中期古墳を規定した古墳である、4世紀末から5世紀初めの古墳と推測された。五社神古墳が神功皇后陵である可能性が出て来た。五社神古墳の古墳年代を400年として扱う。
 
 
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