19-2.天皇陵の墳丘長と古墳年代 [19.天皇陵の古墳年代を解く]
平成18年6月に堺市で行われたシンポジウム「大王のふるさと百舌鳥古墳群」で、白石太一郎氏が「百舌鳥・古市両古墳群の意味するもの」で使われた資料には、前方後円墳の編年が前方後円墳の大きさを伴った図形入りで示されている。この編年表より著者の本意でないかもしれないが、前方後円墳の図形で前方と後円の交わるくびれ部の年代を、前方後円墳が造営された「古墳年代」として採用した。
表16に天皇陵と治定されている前方後円墳を示す。表には元年表とそれに基づいて決定した天皇の崩御の年と在位年数、また前方後円墳の墳丘長と古墳年代を示している。
現在の神武天皇陵は江戸時代に90年に渡る論争の末、尊王攘夷の真っただ中、明治維新の5年前の文久3年に治定され、一万二千両の費用を費やしてやして、現在の八角が修復されている。神武天皇陵は前方後円墳でないため、表16から除いている。この他、雄略天皇等前方後円墳でないものについても同様に除いている。
(表をクリックすると大きくなります)
表16に天皇陵と治定されている前方後円墳を示す。表には元年表とそれに基づいて決定した天皇の崩御の年と在位年数、また前方後円墳の墳丘長と古墳年代を示している。
現在の神武天皇陵は江戸時代に90年に渡る論争の末、尊王攘夷の真っただ中、明治維新の5年前の文久3年に治定され、一万二千両の費用を費やしてやして、現在の八角が修復されている。神武天皇陵は前方後円墳でないため、表16から除いている。この他、雄略天皇等前方後円墳でないものについても同様に除いている。
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2011-09-15 00:00
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