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16-3.新羅は金銀を産出したか [16.黄金の国、新羅の謎を解く]

奈良国立博物館は2004年に「黄金の国・新羅―王稜の至宝」と題して、新羅の古墳から出土した副葬品の展示を行っている。そのコメントには「新羅の王朝は黄金製の冠や耳飾りなどの装飾具を製造させた。しかしこの時代の新羅には大きな金鉱は存在しなかったと見られており、これらの黄金は北方の騎馬民族との交易などで得られたのではないかと見られている」とある。 

図48白亜紀金鉱床.jpg新羅が金銀を産出した可能性があるかを調べてみた。古代人が金銀を入手出来るのは、まずは川床から取れる砂金か、もしくは鉱床が地表に出た露頭でしかない。
現代では地下数百メートルの深さの金の鉱床から金の採掘を行っている。古代人が金銀を手にするためには、金銀の鉱床が地上近くに無ければならない。図48は韓国の金鉱床と、鉱床の深度の関係図である。この表をみると、地球年代でみた白亜紀以降の鉱床でなければ、古代人は金銀を手にする事が出来ない事が分る。図48と次の図49は「韓国の金属鉱床の近況について」、石原舜三、地質ニュース407号、1988年より参照・加筆した。 
                                (図をクイックするとおおきくなります)
図49韓国金鉱床.jpg図49は韓国の金鉱床の分布図である。この金鉱床の内、白亜紀に生成した金鉱床は◆である。これらから、白亜紀の金鉱床は慶州盆地の周辺に多いことが分る。◎印は金銀の遺物が出土した所で、◆の近くにあることが分る。これらより、古代の新羅の人が、砂金を手に入れたのは明らかである。星洲・陜川・高霊・昌寧は伽耶の地であるが、新羅の領域と接近している。

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