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16-2.味鄒王陵と竹の葉の耳飾り [16.黄金の国、新羅の謎を解く]

図46慶州盆地.jpg「韓国の古代遺跡・新羅篇」森浩一監修をみると、黄金の製品が出土する古墳(積石木槨墳)は4世紀の末から6世紀の初めの間に編年されている。私の年表では神功皇后が、新羅には金・銀・彩色が沢山あるとの神託を得たのが352年であり、黄金の製品が出土する古墳の編年が50年遡らなければ、神功皇后の新羅征伐が史実でなくなってしまう。

図46に「韓国の古代遺跡・新羅篇」にある慶州盆地の地図を示す。王京の外にある王陵と古墳群は、その多くが横穴式石室墳である。黄金の製品が出土する積石木槨墳は、王京と書かれた枠内の左上4分の1の地区に多く在る。この地区で唯一被葬者がわかっている古墳が味鄒王陵(竹長陵)である。三国史記によると、第13代味鄒王は262年~284年の在位で、金氏では初代の国王である。                                                                  

味鄒王陵(竹長陵)については、三国史記の第14代儒礼王に次の説話が載っている。「伊西国が侵略して来て金城を攻めた。わが国は総動員して防いだが、撃退することが出来なかった。突然異様な姿の兵隊がやってきた。その数は数えきれないほどで、彼らはみな竹の葉を耳飾りにしており、わが軍とともに賊軍を攻撃し、これを打ち破った。その後、彼らの行き先がわからなかった。人々竹葉数万枚が竹長陵に積み上げてあるのを見て、これが彼らの耳飾りの竹葉でないかとうたがった。このことによって、人々は先王が陰兵をもって、この戦いを援助したのだと思った」。

図47金製耳飾り.jpg図47は慶州から出土した金製の耳飾りである。真ん中に竹の葉の形をした耳飾りがある。味鄒王陵には金製の竹の葉の形をした耳飾りが多数副葬されているのではないかと想像する。残念ながら味鄒王陵はまだ発掘されていない。
               (図をクリツクすると大きくなります)                                 
 

                                    


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