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15-5.阿利那礼河について [15.神功皇后新羅征討は創作か]

書紀には、新羅王が降伏し誓って「東に昇る日が西に出るのでなかったら、また阿利那礼河の水が逆さまに流れ、河の石が天に上がって星となることがないかぎり、春秋の朝貢を怠らない」と言ったと記載している。 

津田氏は阿利那礼河について、「書紀には新羅王の誓詞に阿利那礼河の名が出ている。阿利那礼の那礼は、一時百済の都であった熊津(忠清道公州)の土言として雄略紀に見える久麻那利の那利と同じで河水の義であるらしい。・・・中略・・・
しかし誓詞に上がるほどであるとすれば、大河でなくてはなるまい。特に日が西から出、河の石が昇って星辰となる、というのと並んで河の水が逆に流れるというのであるから、よほど大きい河と見なければならぬ。新羅の領土でそういう河は洛東江より外に無いが、そうすると日本人が洛東江を知っていたとしなければならぬ。もう一歩進んでいうならば、この河を目前に見ての誓いであると解すべきものであろう。そうすれば此の誓詞に、阿利那礼の名を挙げたことは東の海から直に都城に攻め込んだというこの物語の中心思想と背反するものである。だからこれは、物語としても後人の添加であって、原の形には無かったものであろう。」と言っている。 

津田氏は、水が逆さまに流れることがない河は、大河でなければならない、新羅の大河は洛東江である。阿利那礼河が洛東江ならば、洛東江を見た倭が国の軍は海側から攻めて来たのでなく、陸路攻めたのである。日本軍が陸路新羅を攻めたのは後の世のことであり、物語としても後人の付加であると、三段論法で説明している。


宇治谷孟氏の日本書紀の現代語訳(講談社)では、阿利那礼河に「閼川の韓音か」と注釈を付けている。閼川は慶州を東から西に流れる兄山江の支流で、三国史記の新羅本紀にもその名がたびたび登場する。話は変わるが、韓国ドラマ「善徳女王」に爆発的な人気を博している韓国俳優、イ・スンヒョが新羅の軍人のアルチョン役で登場している。アルチョンを漢字で書けば「閼川」である。「閼」字の朝鮮語での発音は「al」で、「アル」なのであろう。「川」が「チョン」でなくて「ナレ」となったのは、津田氏の解釈の通りである。そして「アルナレ」が「アリナレ」に転訛したと考える。「阿利那礼」は「閼川」ということになる。
 

津田氏は逆流しないのは大河と、三段論法の大前提に掲げている。中国の浙江省の銭塘江の海嘯と呼ばれる川の逆流現象は有名だが、河川の逆流現象は地形によるが干満差の激しい河口を有する大河に起こり易く、大河に逆流が絶対起こらないことではない。韓国の西海岸は干満の差が大きく、漢江など逆流現象が起こっている。新羅の誓いの「河の水が逆さまに流れ、河の石が天に上がって星となる」とは、山から流れ落ちる水が逆流して、河の石が山頂から空に散り星座(星辰)となることだと考える。これならば絶対起こらない。阿利那礼河は山に近く、それほど大きくない河ということになる。
 

津田氏も言われているが、新羅王の誓いは阿利那礼河を目前に見て行われている。それが都・金城を流れる閼川とすれば、舞台としてはピッタリである。閼川の源の一つに吐含山がある。吐含山はその山頂が慶州の中心から南東12kmにある標高745mの三国史記に良く出て来る山である。月夜に慶州から見上げれば、山頂のバックは満天の星空ということになり、「河の石が空に散り星座となった」の表現が似合っている。

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