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14-3.大神神社と須恵器 [14.大田田根子の謎を解く]

大田田根子が奇日方天日方と武茅渟祀(建角身命)の娘の子とするなら、「父を大物主大神、母を活玉依姫といいます。陶津耳の女です。」とした大田田根子は誰であろうか。大神神神社と須恵器の関係から探ってみる。 

若狭の小浜と琵琶湖の今津の間の、福井県若狭町末野に須部神社がある。奈良時代の養老三年(719年)には祠が建てられた古い神社である。恵比寿神社とも呼ばれ、祭神は蛭子大神であるが、配祀に陶津耳命と大国主命が祀られている。
この末野の里は良質の粘土が産出され、奈良時代から平安初期にかけての須恵器窯跡が多数発見されている。陶津耳命は須恵器の祖として崇められたのであろう。 

三輪山の麓の祭祀遺跡から須恵器が出土している。大神神社所蔵の須恵器74点について詳細な分析の結果、朝鮮半島舶載品、吹田、東海地方、出雲地方のものも若干含まれているが、そのほとんどは陶邑出土須恵器に類似品していることが判明している。またその年代は、Ⅰ期が21%、Ⅱ期が35%、Ⅲ期が24%、不明17%と報告されている。須恵器の生産が始められた頃から、大神神社と陶邑は関係があったことを伺わせる。
 

須恵器の生産開始は5世紀前半とされていたが、宇治市街遺跡から出土した最も古いタイプの須恵器(大庭式)と一緒に出土した板材が、年輪年代測定法と炭素年代測定法により389年と導かれ、渡来人が技術を伝えた須恵器の生産は、4世紀末に始まったことが最近分かってきた。

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