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10-5.紀年銘鏡が地方の古墳から出土 [10.三角縁神獣鏡の故郷は莱州]

図28錫鉱床.jpg正始4年以後も、倭国は大和の宇陀の丹砂が採れるようになったので、頻繁に丹砂を持って朝貢し、倭国内で人気の高い三角縁神獣鏡と交換した。263年に魏が蜀を滅ぼし、魏は金・錫が手に入るようになったので、東莱山の尚方での三角縁神獣鏡の製作は、266年の壱与の朝貢が最後となった。図28は中国の主な錫鉱床の分布である。地質ニュース435号、「中国の鉱物資源」、岸本文男を参照・加筆した。錫は呉領域に集中、蜀の領域にもあるが、魏の領域には全くない。魏にとって錫も輸入しなければならない、貴重な材料であった。 
                             (図をクリックすると大きくなります)

卑弥呼が初めての朝貢で手に入れた魏の紀年鏡が、本来権力者に渡ったはずと思われるが、あに図らんや地方の小さな古墳から出土している。景初四年鏡が出土した広峯15号墳がある福知山市には、由良川が流れており、上流には錫石が出る鐘打鉱山がある。正始元年鏡が出土した森尾古墳がある豊岡市には円山川が流れており、その上流には錫石が出る明延鉱山がある。同じ鏡が出土した竹島古墳(周南市)は、錫を産出する喜和田・玖珂鉱山から約30kmの地にある。また群馬県高崎市の蟹沢古墳近くには、その支流に丹生川のある鏑川が流れ込んでいる。卑弥呼が初めて貰った百枚の鏡は、錫石や丹砂の入手のため大和王権の崇神天皇(壱与)によって配られたと思われる。

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