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9-5.倭国の丹・鉛の産地 [9.卑弥呼の貢物と賜物]

私は魏志倭人伝に記載された通りに辿り、伊都国を佐賀県神埼町の吉野ヶ里遺跡に比定した。神崎町から南西50Kmの嬉野温泉の近くに虚空蔵山がある。この山を源として流れる丹生川は、嬉野町を通り嬉野川、塩田町で塩田川となり、有明海に流れ込んでいる。この川筋に7社の丹生神社がある。虚空蔵山の長崎県側の山麓には、波佐見水銀鉱山がある。丹生川は丹砂に関係ある川であった。 

私はマレーシアの第三の都市イポーを訪れた事がある。イポーの空港に飛行機が着陸する時、眼下に青色した小さな池を沢山見た。これらの池は錫鉱石を採掘した跡だそうだ。イポーは錫の産地として有名で、山には錫鉱山が存在するが、平地にも、河川が運んだ錫鉱石(錫石)が堆積した所があり、それを採掘している。
丹砂の比重は約8で岩石の2.5倍重い、錫石と同様に河川に流された丹砂は集中して堆積する。古代においては丹砂の鉱脈を山中で探すより、河川で丹砂を採取する方が簡単だったと思われる。丹生川は丹砂が採取出来た河川の事であろう。 

景初3年に邪馬台国の女王卑弥呼が、魏に献上した丹(朱・丹砂)は、伊都国の丹生川(嬉野町)で採取したものと考える。末盧国(唐津)から伊都国(吉野ヶ里)に至る陸行の途中、佐賀県多久市の辺りから南西30キロメートルに丹の取れる虚空蔵山がある。魏志倭人伝の「その山には丹あり」の文章のままである。
 

近年、水銀朱(HgS)の産地をイオウ同位体分析により同定しようという、科学的手法が取り入れられた。イオウの同位体の32Sと34Sの比が、標準値からどの位離れているかを測定して産地の推定を行っている。中国の主要な水銀鉱山の朱のイオウ同位体比(δ34S)は、プラスの値(+8~+20)を示すが、日本の水銀鉱山(除く北海道)では、プラスは測定18鉱山中3ヶ所のみで、残りはマイナスである。虚空蔵山の長崎県側にある波佐見水銀鉱山は、日本では珍しいプラス(+22)の値である。出雲および福岡の弥生遺跡の朱の値にはプラス(+5~15)の値を示すものがあり、中国からもたらされた朱と考えられているが、波佐見水銀鉱系の朱である可能性を残している。今後より多くのデータが蓄積されれば明らかになるだろう。
 

魏志倭人伝に出て来る対馬には、古代から知られていた鉛(方鉛鉱)を産出する対州鉱山がある。方鉛鉱は砂金のように、河川からの採集も可能で、倭国で十分手に入ったと思われる。

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