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9-3.真珠は卑弥呼の貢物 [9.卑弥呼の貢物と賜物]

三国志の呉志孫権伝によると、嘉禾四年(235年・青龍三年)に、魏が呉に対して、馬と珠璣(真珠)・翡翠・瑇瑁(タイマイ)を交換したいと申し出ている。魏にとって真珠は自国では手に入らない産物であった。卑弥呼の賜物、真珠50斤(11kg)は、直径10mmの真珠で約7千個に相当する。魏にとって貴重な真珠を7千個も、卑弥呼の朝貢へのお礼にくれたとは思えない。 

賜物の真珠はおかしいと考える学者も多く、現在考古学会では、卑弥呼が貰ったのは真珠ではなく、真朱(丹砂・朱砂・辰砂)であったと考えるのが定説化しつつある。中国の薬学(漢方)の先生が書いた面白い論文を見つけた。「昔も現在も、真珠と真朱(どちらも漢方薬)を取り間違えている。これは字も発音も同じであることに起因している」とあった。真珠は真朱の間違いだとするのも一理ある。
 

京都の仁和寺に「新修本草」という国宝の医薬書がある。新修本草には「真朱」と言う言葉が出てくる。丹砂(朱砂・辰砂)と同じものだが、汞(こう・水銀)に硫黄を化合させて作ったものを真朱と呼んでいる。科学的に言えばどちらも硫化水銀(
HgS)で同じである。中国では天然を丹砂、人工を真朱と使い分けたのかも知れない。この新修本草の原書は唐の時代に書かれたものである。真朱という言葉が中国の唐時代で使われていると言えても、三国時代に使われていたとはかぎらない。 

真朱の言葉が最初に出てくる中国の医薬書は梁(6世紀)の「名医別録」である。後漢の時代に作られたという最古の医薬書「神農本草経」には丹砂の言葉は出てくるが、真朱の言葉は出て来ない。魏の時代には、真朱の言葉はなかったのではないかと思われる。これからすると「真珠」は、真珠のままが正しい事になる。魏志倭人伝には倭国では真珠が取れるとあり、女王壱与は白珠(真珠)5千個を献上している。真珠は倭国から魏への貢物であったと考えるほうが似合っている。
 
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