6-6.天孫降臨神話と邪馬台国 [6.実在した神代の世界]
高皇産霊尊は出雲を平定した後、孫の瓊瓊杵尊を日向の襲の高千穂の峰に降ろされた。いわゆる天孫降臨である。そして瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・鸕鷀草葺不合尊、いわゆる日向三代が日向の地で造り上げたのが邪馬台国であった。奴国王で倭国王であった高皇産霊尊が出雲・日向、そして子の代になって有明海沿岸(筑後)へと領土を拡大するにおよんで、倭国の連合の国々は、互いに攻伐して倭国は大乱が十数年続いた。
倭国大乱の頃、日向の邪馬台国の王は彦火火出見尊であった。妃の豊玉姫は妹の玉依姫を連れて嫁いで来ていた。この玉依姫は年が10歳過ぎであったが神懸かりし、物事を良く当てたので、巫女として彦火火出見尊に仕えていた。その鬼道の噂は邪馬台国ばかりか、倭国の国々にも広がった。戦いに辟易としていた倭国の国々の王から、この巫女を倭国の王にとの声があがった。言い出したのは伊都国の王であったが、最も強権を振るっていた本家の奴国も、兄の火闌降命が造った投馬国も賛成した。
そこで、彦火火出見尊は邪馬台国の王の座を玉依姫に譲り、玉依姫は共立されて倭国の女王となり、卑弥呼と呼ばれるようになった。卑弥呼は彦火火出見尊の息子、鸕鷀草葺不合尊と内密に結婚した。鸕鷀草葺不合尊は卑弥呼に会うことが出来た唯一の人であり、飲食を給し、情報を伝えるために居室に出入りした。そして四人の男神が生まれた。彦五瀬命・稲飯命・三毛入野命・磐余彦尊である。卑弥呼は人に会う事がなかったので、この秘密は守られた。子供が大きくなると、弟として国を治める事を補佐させた。
磐余彦尊(神武天皇)は、「東の方に良い土地がある、そこは国の中心地で天下を治めるに良い。昔、天の磐船に乗って饒速日(にぎはやひ)という者がとび降りている。そこに行って都をつくるにかぎる」と言われ、東征に向かわれた。
倭国大乱の頃、日向の邪馬台国の王は彦火火出見尊であった。妃の豊玉姫は妹の玉依姫を連れて嫁いで来ていた。この玉依姫は年が10歳過ぎであったが神懸かりし、物事を良く当てたので、巫女として彦火火出見尊に仕えていた。その鬼道の噂は邪馬台国ばかりか、倭国の国々にも広がった。戦いに辟易としていた倭国の国々の王から、この巫女を倭国の王にとの声があがった。言い出したのは伊都国の王であったが、最も強権を振るっていた本家の奴国も、兄の火闌降命が造った投馬国も賛成した。
そこで、彦火火出見尊は邪馬台国の王の座を玉依姫に譲り、玉依姫は共立されて倭国の女王となり、卑弥呼と呼ばれるようになった。卑弥呼は彦火火出見尊の息子、鸕鷀草葺不合尊と内密に結婚した。鸕鷀草葺不合尊は卑弥呼に会うことが出来た唯一の人であり、飲食を給し、情報を伝えるために居室に出入りした。そして四人の男神が生まれた。彦五瀬命・稲飯命・三毛入野命・磐余彦尊である。卑弥呼は人に会う事がなかったので、この秘密は守られた。子供が大きくなると、弟として国を治める事を補佐させた。
磐余彦尊(神武天皇)は、「東の方に良い土地がある、そこは国の中心地で天下を治めるに良い。昔、天の磐船に乗って饒速日(にぎはやひ)という者がとび降りている。そこに行って都をつくるにかぎる」と言われ、東征に向かわれた。
2011-07-08 01:51
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