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4-5. 卑弥呼が共立された理由 [4.卑弥呼は何故共立されたか]

表8青銅器分布.jpg邪馬台国が日向に存在したと言っても、多分考古学者の方々は、そんな荒唐無稽な事と相手にもされないであろう。その最大の原因は、日向には九州の弥生時代の象徴である銅剣・銅矛や銅鏡等の青銅器の出土がほとんどないからである。現在考古学者は、日向は青銅器文化が未発達で弥生文化の遅れた地であり、邪馬台国が存在するなどあり得ないと考えておられる。表8に、卑弥呼を共立した国々から出土した、弥生時代の青銅器、銅剣・銅矛・銅鏡、ならびに銅鐸と、新の貨幣である貨泉についてまとめた。これを見ると、邪馬台国に比定した日向が青銅器についてみれば一番遅れた国であることが分り、考古学者の言われることがもっともだと思える。
                                                      (表をクリックすると大きくなります)
ここで、互いに戦っている国々から共立される条件を考えて見る。それは、1)強国を選ばない。強国の王を選べば、その他の国々は属国にされてしまう。2)大国でも武器を持たないお金持ちの国を選ぶ。魏への朝貢などで贈り物にお金がかかる。3)近くに敵対する国があって、同盟国に戦いを仕掛ける事が出来ない国。4)家柄が良く優しい国。5)国王としてシンボルとなる人がいる国。6)同盟国以外の国と手を結ぶ恐れのない国。
 

日向の邪馬台国はこれらの6条件を全て満足させると考える。1)邪馬台国は青銅武器のない国。奴国は強国なので絶対共立されない。2)戸数は7万戸と最大の大国で、農業国としてお金持ち。3)狗奴国と隣接し交戦している。4)先祖が天孫降臨で日向に来た、天照大神・高皇産霊尊の子孫。5)卑弥呼は鬼道に仕え、良く衆を惑わす。6)狗奴国以外、同盟国以外の国とは遥か離れている。出雲国・吉備国は同盟国以外の国の祭器・銅鐸をもっており、いつ寝返るかわからない。こう考えると、日向の邪馬台国の卑弥呼を倭国の女王に共立するのが一番相応しいと思える。 

話は飛ぶが、国連の事務総長は共立される。現在の潘基文氏は8代目の総長である。これまでの総長の出身国を見ると、1代ノルウエー、2代スウェーデン、3代ビルマ、4代オーストリア、5代ペルー、6代エジプト、7代ガーナ、8代韓国である。大国や強国は選ばれていない。意図的にそうしている面もあるが、共立とはそのようなものだ。 

女王卑弥呼の邪馬台国が文化的に最も進んだ国であるとの固定概念を取り払い、同盟国の盟主は強国でない国の王が選ばれやすいと考えた時、日向に邪馬台国があったということが見えてくる。 

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コメント 2

ホケ老

>「邪馬台国はこれらの6条件を全て満足させると考える。」
全く同意です。

もしかしたら、伊都国は政都、博多辺りは商都、邪馬台国は卑弥呼居所の聖(神)都。
としたら、邪馬台国は必ずしも地政学的要衝の地である必要がなくなります。
(また、本論論旨からは逸れるますが、)伝の世界は流れ行く大乱の間の数世紀間の一コマの構図にしか過ぎません。
であるならば、邪馬台国の跡地に「大都市」の痕跡が有ってもなくても、どちらであっても不思議ではないことにもなります。
(人口のキャパついては、広大な平地を有していると言う見方が大勢ですが、僻地でも構わないと捉えれば広大な面積でカバーとも考えられます。)

by ホケ老 (2017-01-16 19:13) 

刮目天 一

お邪魔します(^^♪

何故、卑弥呼が共立されたか?
良い視点でだと思います。
ただ倭国大乱の原因を追究すると自ずと分かってきます。

倭王V.S.反倭王勢力

何故、反倭王勢力が存在するのか?

じゃあ、倭王とは何者か?

西暦57年に光武帝から金印を貰ったのは奴国王でした!

西暦107年に安帝に帥升が朝貢したのは何のため?

その結果どうなったのか?

ここに答えが有りますよ。
よろしければどうぞ(^_-)-☆

邪馬台国の見つけ方
http://sns.mynippon.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=683742

失礼しました(●^o^●)
by 刮目天 一 (2017-02-21 19:41) 

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