1-7.日本書紀原典の証明 [1.日本書紀の編年を解く]
こんな簡単な作業で解明出来た元年表の編年が正しいかどうかは、宋書倭国伝に記載された「倭の五王」と比較すれば分かる。
天皇 即位の年 倭王 朝貢の年 記載事項
仁徳 383年 讃 421年 倭王讃朝貢し叙綬を賜う
履中 435年 珍 438年 讃死し弟珍立つ。珍遣使貢献
允恭 443年 済 443年 済遣使貢献す
安康 461年 興 462年 済死す。世子興。遣使貢す
雄略 464年 武 478年 興死し弟武立つ。武遣使上表
仁徳天皇は在位の途中で朝貢を始めたのであるが、履中・允恭・安康天皇については、即位後すぐに朝貢している。雄略天皇は即位後14年立っての朝貢となっている。だから武は上表文の中で、朝貢しようとしたが、高句麗が百済の征服を図り、朝貢出来なかったと言訳をしている。元年表の正確さは歴史・考古学者の考える編年をはるかに超えた精度である。
天皇 即位の年 倭王 朝貢の年 記載事項
仁徳 383年 讃 421年 倭王讃朝貢し叙綬を賜う
履中 435年 珍 438年 讃死し弟珍立つ。珍遣使貢献
允恭 443年 済 443年 済遣使貢献す
安康 461年 興 462年 済死す。世子興。遣使貢す
雄略 464年 武 478年 興死し弟武立つ。武遣使上表
仁徳天皇は在位の途中で朝貢を始めたのであるが、履中・允恭・安康天皇については、即位後すぐに朝貢している。雄略天皇は即位後14年立っての朝貢となっている。だから武は上表文の中で、朝貢しようとしたが、高句麗が百済の征服を図り、朝貢出来なかったと言訳をしている。元年表の正確さは歴史・考古学者の考える編年をはるかに超えた精度である。
2011-06-23 20:56
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0