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1-5.日本書紀と古事記の編年比較 [1.日本書紀の編年を解く]

日本の歴史を書いた最も古い本は古事記であり、奈良に都が遷都された直後の、712年に太安万侶により編纂され、25代推古天皇まで記載している。その8年後に、日本書紀が舎人親王により奉上され、32代持統天皇まで記載している。古事記は天皇の崩御の年を干支で表わしているが、その干支は数代の天皇の記載しかない。日本書紀は、全ての天皇について天皇即位の年を干支で表わしているため、干支を歴年にする事が出来る。そのため、かえって書紀の編年は信用できないとされ、歴史・考古学者は古事記の干支から、年代を推測している。
                      
年輪年代法のような化学的年代法が採用されるまで、考古学者は古墳時代の始まりを、4世紀の初めとしていた。書紀には崇神記に箸墓の記事があり、古事記では崇神天皇の崩御が戊寅となっている。この戊寅の年を318年と考えて、古墳時代の始まりを4世紀の初めとしたのであろうか。日本書紀・古事記を信用出来ないとしながらも、やはり影響を受けているようだ。そんな事は決して口に出さないであろうが。
                          
表2編年比較.jpg書紀の即位年と、古事記の崩御年を比較した。天皇が崩御した翌年または翌々年に、即位が行われると考えると、書紀と古事記の編年が合致しているのは、宣化天皇までである。継体天皇崩御について見れば、古事記の方が6年古く編年しており、雄略天皇崩御では、逆に書紀の方が10年古く編年している。書紀・古事記の編年は、継体天皇あたりから怪し くなっていると言える。



(表をクリックすると大きくなります)

                    
                                                      
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